!ご注意!

大切な『宝物』。音信不通の3つ年上の幼馴染に会うために彼の大学へと行った。再会した幼馴染は、過去の輝きはなかった。地味だった。ダサかった。ありえなかった――。幼馴染の3人が、ブラコンでシスコンで奪い合ったりいちゃいちゃしたり、殴られたり、(ボケ)突っ込まれたり、ヤンデレが怖かったりするコメディです。
※TS作品です。ファンタジーとして読んでいただけたら幸いです。
全世界に向けてノーマルラブな御話だと叫びますが、ガールズラブもあるかもしれないのであしからず…。

※2014年6月の即売会で発表する冊子のために書きました。

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(1)


 新城正樹は父親の大きな手に引きずられるような形で、生まれた港町を出た。
保育園の頃からの友達や小学校で一緒にサッカーをして遊んだ友達が一生懸命手を振る。正樹の記憶の中ではこれは、「小学校を転校します、さようなら」という最後の日だった。
転校の意味をはじめ知らなかった。ただ転校が決まって時が経つたびに、自分がこの学校からいなくならなければならいということが分かった。嫌だと、父親に言うことはなかった。寂しいと、父親に言うことはなかった。父が毎晩、毎朝、「すまない」と謝ってきていたからだ。父子家庭、父―新城清志と正樹二人だけの家族。だから毎朝毎晩の謝罪に終いには怒った。いい加減にしろと。そんなに謝るなら今の仕事やめちまえ!と―そんなこと、父に向かって怒鳴りつける度胸など幼い正樹にはなかった。ただ、怒って父と言葉を交わさなかった。そもそも正樹が何で怒っているか清志は勘違いしているのだ。転校することを嫌だ、寂しいと思っていても父と離れるのはもっと嫌だし、悲しいと思う。大好きなのだ。清志も自慢の息子だと頭を撫でてくれた。ぼさぼさになった髪を直しながらも、父の大きな手で撫でられることが嬉しくて、心が安心した。自分も父のような存在になりたい。そう思った。
誰かを安心させる存在でいたい。そして、あの時、あの場所で二人の兄妹と出合った。
自分は誰かを守るには、まだまだ小さい存在だった。それでも二人の笑顔を守りたいと思った。だから、正樹は二人を守れるだけの力がほしかった。二人に誇れるだけの力がほしかった。立派な、兄として見てほしかった。二人を守れる、兄として―。

 正樹は医師の話を聞きながら、思い浮かべたのは父の手の平。ただただ、突きつけられた事柄に呆然としていた。助けてほしいと救いを求めた手の平。こんなとき、父が、幼馴染の二人がいれば―自分の足元は固い。二人がいれば、決して救いなど求めない。しっかりしなければと奮い立たせることが出来るのに、今、正樹は一人だった。
突然、喫茶・アルトで倒れた正樹に付き添ってくれていたのが、大学入学時になぜか無駄に意気投合してしまった相沢翔と、アルトのウェイトレスの葛木桃果だ。子供じゃないから付き添いなんて要らない、と苦痛に呻きながら二人に告げたが桃果の「君は未成年でしょ!?」の一喝に有無言わさずだった。正樹はまだ十九歳。未成年。まだ、守られる側の人間なのだ。
二人が診察室から出てきた正樹に駆け寄った。痛みに気を失ってからの時間付き添ってくれていたらしい。昨今隣人は冷たいというが、二人は無駄に温かいなぁと苦笑いを浮かべた。突然笑った正樹に翔が、大丈夫か?と恐る恐ると問う。問うが、正樹はどう大丈夫なのか分からなかった。
体のことを知った正樹は今、大丈夫ではない。体は一時的にホルモン剤で女性ホルモンを押さえている。時たま起こる身体の痛みは月経痛だったらしい。薬で痛みは無くなった、けれどまた痛みが起こる。大丈夫なのか分からない。なにもかも、わからない。
ただ、――わからない。

 誰にも何もいえない。心配して深夜まで付き添ってくれた二人にも何もいえなかった。大丈夫だ、と笑って嘘もつけなかった。逆に大丈夫じゃない、とさらに心配をかけることも出来なかった。わからない、と言って誤魔化すことも出来ない。二人にお礼を告げてタクシー代を渡す。要らないと桃果は断ったが正樹は譲らなかった。譲らず、じゃあアルトの軽食メニュー上から下まで。と頼みその場を茶化しお札を桃果に押し付けて、頼んでいたタクシーに乗り込んだ。桃果と翔の喚き声を聞きながら、後部座席のシートに身を預けた。

(……最悪だ…)

それしか頭の中に浮かばなかった。
次の日が、今日が休日でよかった。帰宅した正樹はそう思いながら、ソファーベットの上に倒れこんだ。翌朝、決心して父親に電話をかけた。長いコール音の末、通話口に出た父親の声を聞き安堵した。泣きそうだった。珍しく駒形兄妹以外のことで電話をかけてきた正樹に驚いた父は茶化しながらも正樹の話を聞く。正樹は体のことをすべて話した。話した、と言うほど詳しくはわからない。医師に告げられたことをそのまま父親に告げた。

《そうか。バレたか》

ため息と共に出された言葉に、頭の中が真っ白になった。バレた?なんだそれは。正樹の手にしていた固定器の受話器が軋んだ。

《まあ、そういうことでお前は男ではなく、女なんだな。これが》

さっくりと明るく告げれられた言葉に、目をむいた。「はぁ!?」と叫び声を上げ、問い詰める。問い詰めると、

《お前、だって、碧ちゃんと結婚するとか何とか言ってただろ?子供の夢を壊したら駄目だと思ってな。それにお前は嘘がつけないだろう?すぐ碧ちゃんや蒼君にバレる。だから黙ってたし、戸籍上は正樹お前は男として登録してあるからなぁ。別段その時はそのままでもいいかなって思って、な。それに先生も言ってただろ?大体の人間がその性別のまま生活するって。お前が男を選んでいる以上俺がとやかく言う必要もないかな、と》

ふさげんな馬鹿ヤロウ!と、初めて父親を罵った。

《お前が県外の大学に進学したいと言ったときに告げようかとも迷ったが、おまえ自身が考えて選んでいたからな。蒼君や碧ちゃん『離れ』開始しようとしてるときに告げるのもなんだと思って》

その言葉に、正樹は受話器を落とした。慌てて拾った。受話器越しの耳に届く父親の声。

《正樹…バレないとでも思っていたのか?》

呆れた声に正樹は言葉を失った。顔色を失った正樹は、何か言葉を必死に出そうと口を動かすが「あうあう」と奇妙な声しか出てこない。そんな正樹に笑い声を上げる父。

《よく考えろ。あと、お前はどちらかと言うと母さん似だ。美人になるぞ。一度振袖でも着てみるか。あははは。実は言うと女だってばれた時、成人式や見合いがあれば着てもらうと思って振袖(百万)をもう準備してあるんだな!無駄にならなくて良かったっ!さすが百万はやりすぎたかと思ってたんだがっ!正樹の振袖姿楽しみ――》

ブチっと固定電話のコードを引き抜いた。引き抜いた手の甲に青筋が浮かんでいるのは多分怒りからだろう。正樹は、近所迷惑だと知っていても叫んだ。ただ、ただ、叫んだ。

「クソおやじぃぃいい!!」



夏が終わって、秋。春から一転してカッコイイと言われていた正樹は、地味男(ジミー)と影で笑われていた。正樹とて好き好んでこのようなダサい格好を選んでいるわけではない。これでも蒼や碧にカッコイイと言われたいがために見てくれをせっせと磨いてきた過去がある。だから、正樹にとって今の格好はありえないのだ。
LLサイズのパーカーにダボダボのジーンズ。瓶底眼鏡。伸ばしっぱなしの髪。
自分の姿にくらくら気ながらも、この姿を通す。これは既に意地だった。


体は完全に女性体だった。


初夏に女性とわかり、正樹は女性と言う性を選んだ。男のままでいる選択もあったが、正樹は馬鹿正直な人間だった。嘘がつけないのだ。女だと知ったときに、自分の男としての矜持とか何もかもが嘘になってしまった上に、体が女なのに男と嘘をついて付き合える度胸も無かった。嘘を突き通せない故に、心の中で真に助けを求めた実の父親の現実の笑い声に、殺意を抱いたのだ。父、清志に対する反動は凄まじく、失望した。あれだけ父として好いていた父が憎くてたまらなかった。そんな正樹自身にも、正樹は嫌気が指していた。
失意の正樹はただただ、後悔した。幼馴染の手本になれる存在になるために、嘘つきは嫌いだ!と豪語していた。その自分が『存在』から嘘っぱちで、嘘つきは嫌いだと言っていたのだ。落ち込んでいた正樹に、相沢翔は軽く言った。

『正樹が正樹らしくいられるなら、協力する』と。

その言葉に自分らしいさ?というものを考え始めた。結果、男でも女でも『正樹』と言う人間は変わりない。ただ、肉体のコンプレックス―背が低いなど―を考えれば、女性になったほうが心身面で楽なのかもしれないと楽観的な考えにいたった。そして吹っ切れた。

自分は自分なのだと。

それに、悲しいかな…、人一倍気になっていた男性の象徴たるものの大きさなど。つまり小さかったのだ。馬鹿にされたことは無いが、ただただ…可哀相な顔はされていた。
父、清志の件はまず置いておくとして、正樹は女性になるために色々なカウンセリングやレクチャーを受けた。手術の日程も無理に詰めた。一年目から留年するわけには行かなかった。兄でなくなったとしても二人にはカッコイイ『幼馴染』でいたかったのだ。
 元から鳩胸のように胸が同年代の男子より膨らんでいたが、まさか普通に女子の胸だと思ってなかった正樹は手術後のホルモン剤を受けたおかげで胸がそこそこ女子のような丸みを持ってきた。
ここで筋肉質ではあるが完全な女性体となった。
女性となったからには、女性として生きる。
女性と生きると決めた切欠はどうあれ、この時から後悔はない。

罪悪感だけだった。

嘘をつけずに音信普通となっていた駒形兄妹のことだけだ。本当のことも話せない、嘘もつけない。罪悪感で一杯だった。
そのこと以外はどうでもいいと、本気で思っていた。なので、息子よりも娘が出来たことに小躍りする父親を殴りつけ、その拳に対して嬉々として「反抗期か!?反抗期だな!お父さん臭いから嫌い!とか言っちゃうか!」と騒ぎ立てる父親に絶対零度の眼差しを向けたが、それでもはしゃぐ父親の好きにさせるものかと女性らしい格好や仕草、女性としてのカウンセリングを日々受けつつも、父親の望む娘像からかけ離れるために――ダサさを追求した。それがあの格好になるということだ。
一度身に着けただけで、気分が滅入った。滅入ったが、父親から毎月送られてくるようになったダンボール箱の中には女性誌のモデルが着る様な服ばかりで、これを着てくれと言外に言っている。
ここまでくれば、嫌がらせの以外の何ものでもない。服をゴミに詰めて捨てるという行為が出来ず、ダンボールに溜めるわけにも行かず、中身を一通りチェックして使えそうなものを抜き、後は古着屋へ値札の付いたまま売却した。その代金は使わず貯金している。
正樹は父親の嫌がらせにうんざりしながら、毎月かならずダンボールの服を受け取ると嫌がらせ返しに眼鏡とパーカー・ジーンズ姿の自分を撮影してメールで送り、二度と送ってくるなと付け加える。すると、必ず責め立てるになったようなメールが送られてきた。

『そんな格好で蒼君や碧ちゃんの前に立てるのか!』

立てるわけない。同じメールの返信を毎月受け取り、打ち砕かれながらも地味さを突き通した。父親のあの、浮かれた顔がカンに触り腹立たしかったのだ。
しばらくしてから、もう気づくべきではないことに、気づいた。

自分は、自分が思っている以上に『碧』のことが好きだったのだと。

中学、高校時代、告白されても断ってきたのは『碧』という存在との約束があったからだ。碧は蒼と同じく、自分を認めてくれて「すごい」と褒めてくれる。その笑顔がすごく好きだった。それが恋情かといわれれば、正樹はNOといっただろう。愛情ではあったが、それは恋になることなく正樹自ら終わらせたのだ。
町を出たときに。
碧には、自分以上の男が必ず見つかるはずだと正樹は思っていた。そう思って、町を出た。そう、思っていたのに自分が決めたことにやっぱり後悔している。後悔していないなんて嘘っぱちだ。それを父親に擦り付けていたことが情けなく汚らしく感じた。今の自分は汚い。嘘で逃げずに、ただ連絡もせずただ、何もしないで逃げ続けているだけの汚い存在だ。
こんな存在に、二度と笑いかけてくれるわけない。
碧や、蒼は幻滅するだろう。

二人に連絡できない、連絡しない本当の切欠を知ったら――。


もう、きっと『幼馴染』でさえいられない。




(2)





「好きです。付き合ってください」

 一度目のキスは、セクハラだと言われ、二度目のキスは好きだと言われた。開いた口が塞がらないし、告げられた意味を理解しようとするが混乱して迷宮に飛び込んだ思考が、迷宮で迷って戻って来られない。
つまり頭の中がすごく混乱していた。

「す、すき?え、すき?」

蒼が好きだといった。正樹は、頷く、頷いて、「俺も好きだよ」と告げる。告げると蒼の顔が一段と苦虫を噛み潰したような顔つきになって、鋭く睨みつけてくる。びくりと背を正し、その視線から逃げようと身を引くが、椅子が少しずれるだけで動かない。
蒼が怖いわけではない。ただ、正樹の『好き』と蒼の『好き』が噛み合わない。行動が、噛み合わないのだ。キスをするのは、『好き』な相手とではないのか?

「別の言葉で言います。愛しています」

水を飲んでいたら噴出していただろう。真剣に、この幼馴染(男)は何を言っているんだろうか?男だろ?うん、男だ。自分も、身体は女になったが、心は男だ。だから、男と『どうにかなる』なんて想像も付かない。

「蒼、お、落ち着け。どうした、どこか頭を打ったのか?」

倒れたグラスを元に戻し震える手つきでテーブルをお絞りで拭いた。こんなときにでしゃばるウェイトレスは別のお客の接客をしている。視線を向けると、「ちょっと待って」と手で合図をされる。注文と間違えられている。ちがう。今すぐ来い、視線で助けを求めるが桃果は営業スマイルをお客に振り撒いて気づかない。

「どこも打っていません。あと、気の迷いでもありません」

「いや、迷いだろ?!どう考えてもっ。冗談にしても、これは…」

笑えない…。

「本気にしてくれないんですね」

吐き出された呆れた声は、非難を含んでいた。本気にしろという、蒼が。正樹は目を大きく見開いて、苛立ちに顔を歪めた蒼を見た。初めて向けられた表情に、びくりと震えた正樹。蒼は席を立ち、

「来年、正樹兄さん――、正樹の大学に受験しますから」

「は…?」

「楽しみにしていてください」

「え?」

「あ、お正月は碧と一緒に遊びに来ますから」

どうせお正月は家に二人しかいないので。と言って荷物を持って立ち上がり正樹を三度睨みつけた。

「兄さんにとってはどうでも良くても、僕らにとってはどうでもよくないことがあるんですよ。――碧だから譲っていた部分もあるんです。『正樹』には理解できないんだろうけど…」

まて、と手を伸ばすが蒼は一切振り返らず――喫茶・アルトから出て行った。
伸ばした手がだんだんと下がり、

「なに?ケンカしたの?君たち」

桃果が心配そうに声をかけた。顔色を無くした正樹は混乱して頭を抱えた。
正樹兄さんと呼んでいた蒼が呼び捨てにした。碧の、他人行儀よねっ!という明るい声が脳裏に響く。

(いや、いやいやいやっ!)

まさか、そんな、まさか!と正樹は否定の言葉を繰り返した。



(3)



 この数日抜け殻だった正樹は、駒形蒼との再会の日から四度目の土曜日を迎えた。
外出するわけでも、アルバイトのシフトも今日は入っているわけでもなく、一日中アパートの部屋でパソコンのテレビ画面をつけながらぼんやりとリポーターの笑い声を聞いていた。あの後、連絡を取ることも出来ず、ただ、どうすればいいのか混乱していた。

蒼が、好きだといった。愛しているといった。どういう意味だ?

意味合いで取ればLIKEとLOVEだと、蒼が言うにはLOVEのほうだということだ。
何故に?と困惑する。蒼は可愛い弟分のような、大切な幼馴染だった。ちなみに、蒼は男で、正樹も男だった。今は身体は女だが、心―精神は男そのもので。つまり、そっちの気はないということだ。その弟の告白と、苛立った顔、冷たい顔…初めて見た表情にどうすればいいのか分からず、いや――分かっていても断ることが出来ない。傷つけたくない。大好きなのだ。駒形蒼、そして駒形碧が。

 二人の兄妹と出会った切欠は…あの町に引っ越してきたばかりの頃だ。新学期が始まる前で、春休みの頃だった。友達がいなかった。友達が出来るか不安だった。寂しかった。暇で、一人でサッカーボールを蹴っていたときに出会ったのだ。衣類やぬいぐるみなどの荷物を紙袋に入れた二人が道端で途方にくれていた。「どうしたんだ?」と問いかけると二人は驚いた。碧を護るように蒼は前に出た。正樹は警戒されていることが分からず、首をかしげた。

「なんで怒ってるんだ?」

声をかけただけなのに。むくれた正樹に蒼が言った。

「知らない人に声をかけられたからにきまってる。誰だよっ」

正樹はボールを持ったまま、二人を見た。蒼の顔は女の子っぽいのに荒々しい態度に、「あ、男か」と正樹思った。そんな正樹の視線に碧は脅えていた。蒼も怒ってはいたが脅えていた。

「そこの、アパートに引っ越してきたんだ。俺」

指を挿した先には、そこそこ新しいアパートがあった。2LDKの父親とその息子の二人暮らしにしては十分すぎるくらいの部屋。

「俺は新城正樹っていうんだ!こんど、吉村小学校に通う予定っ!て言っても春休みおわってからなんだけど。お前らも吉村小学校に通ってるのか?」

怖がられないように幼いながらも気にしながら笑うと、碧は脅えたまま頷いた。蒼はまだ睨みつけていた。

「名前は?」

「え?」

「ふたりの名前、俺まだ友達いないんだっ」

照れたように恥ずかしがるように正樹は笑った。

「ひとりだと暇だから、一緒に遊ぼうぜ」

ボールを突き出して見せる。サッカーやろう!そう誘うと、蒼は戸惑った。戸惑っていたら、紙袋から服の一枚がこぼれ落ちた。慌てて取ろうとすると、取った先から一枚ずつ落ちていく。蒼は泣きそうになってアスファルトに零れ落ちる服を集める。碧も手伝おうとするが、両手一杯でどうにもならない。きょとんとして正樹はボールを路面に置いて蒼の手から服を取った。なにするんだ!と声を上げた蒼に、正樹は「手伝う」とだけ告げた。

「これ、どうすんだ?家に持って返るのか?」

その言葉に兄と妹は震えた。首をかしげた正樹は、これどうしたんだよ。といぶかしんだ。盗んできたのか?その問いに、蒼が叫んだ。

「ちがう!ぼくらのおかあさんのだ!」

そう言って火がついたように泣き出した。正樹は驚いた。驚いて慌てた。蒼に釣られるように碧も泣き出した。正樹はまだ知り合いのいない―友達のいないこの町で出会った子供が突然泣き出しことに、抱えていた不安が爆発した。

「なっなくなよ!泣くなよぉっ」

涙を浮かべながら、二人の子供たちをアパートに連れて行った。連れて行って、父親が準備しておいてくれていたカップケーキの素を取り出した。イチゴとチョコだ。正樹は父と自分のマグカップに材料と入れ、箸でかき混ぜて電子レンジに放り込んだ。チン、と音が響くとふかふかのケーキが出来上がった。
正樹は急いで蒼と碧に見せた。

「できたっ!くえ!」

そして食べるように進めた。ほかほかのケーキに二人は泣きながら釘付けになった。材料が混ざりきってなく、まだらなケーキだった。けれど、二人のお腹がなった。

「お腹がすいてるなら、もっと食べろ!おれがたくさん作ってやる!そうすれば泣かなくてもいいだろ!」

無理にまとめた。泣いている意味も深く考えずに、正樹は自分が泣きそうになっていることも含めて、すべてがお腹がすいているからだ、とまとめた。

二人の兄と妹との関係は、――ここから始まった。

 初めて父親以外に振舞った料理ともいえないケーキ。おいしいと食べてくれた子供たち。正樹は嬉しくなった。嬉しくなって、いろんなことを話した。いろんなことを聞いた。サッカーボールでリフティングすると「すごい」と言われた。すごいすごいと言われ、調子に乗った感もあるがそれでも蒼と、蒼の後ろに隠れる碧に褒められたことがうれしかったのだ。
初めての町で始めてできた友達。
寂しかった足元が、踏み固められていく感覚。褒められてすごいと言われて、嬉しかった。二人の笑顔がきらきら輝いていて。まるで宝物のようだった。宝物。そう、二人は、正樹にとって宝物になったのだ。
けれど、その宝物は独り占めしていいものではない。正樹以外にもその宝物が本気でほしいと思う人間がいることを知っている。正樹が鍵をかけてしまっておいてはいけないのだ。
気づかされたのは、いつだったか。記憶が過去の出来事をアルバムをめくるように流れる。
そして、たどり着く。
初めて女子に告白された時、「碧との約束があるから」と断った。「それでいいの?」と問われた。何を言っているのか分からなかった。それで、正樹はいいのかと。いいのだと言った。おかしいと言われた。言われたので言い返した。女子は泣いた。それから、どうした?
正樹はぐるぐると過去の記憶を回す。思い出していくうちに、どれだけ自分が、蒼と碧中心で生きてきたのか思い知る。

友達と約束をしていた、けど碧が熱を出した。断って看病しに行った。
蒼が交通事故で軽い怪我をした。その原因のドライバーに詰め寄った。警察官に説教を食らった。
蒼と碧を悪く言うやつがいた。許せなかったから一言文句を言ったら大喧嘩になった。
暴力沙汰にもなったことがあった。また、警察官に説教を食らった。

過去を思い出してみて、やはり正樹は二人と『離れなければ』とだけ思った。その原因の、記憶――切欠。


 高校に入って何度目かの告白を断って教室に戻ったとき、クラスメイトの女子生徒に呆れられた。

「新城君。君、その子のこと本気で好きでもないのにずっと断り続けるの?」

その言葉はいつも告白して来た女子の最後に聞かされてきた言葉だった。なので、面倒でお前には関係ないだろ?と苛立って答えてしまった。女子生徒は苦笑いを浮かべて謝ってきた。

「ごめんごめん。でも、わたしはいい加減その子を離してあげた方がいいと思うな」

その言葉に意識を持っていかれた。どういうことだ、と問う。

「新城君が幼馴染の子達大好きなのは知ってるけど、新城君がその二人にべったり依存している感じ。別に依存してることが悪いって言うわけじゃないの。ただ、新城君が二人に自分しか見せてないの。見せないの。だからあの子達は新城君が大好きで、なんていうんだろう…。そう…、うーん。そう、目隠ししてるみたいな感じ!」

目隠し―。

「碧ちゃんだっけ?新城君以上に好きになれる人がいないかもしれないし、いるかもしれない。けど、今の状態じゃあ、お互いに1つの箱の中に入ってて依存し合ってる感じで、さらに、新城君が自分しか見えないように目隠ししてるの。カッコイイところしか見せてないでしょ?二人に」

見栄を張っていることを笑われた。正樹は呻きながら頷く。クラスメイトは良く正樹が失敗することを知っているし、努力家と言うことも知っている。そして、幼馴染の兄妹が大好きだということも。それゆえに、二人にはいいところを見せようとしていることも。

「もっと、周り見せたほうがいいんじゃないのかな?二人のためにも。あと新城君のためにも」

女子生徒とは、わりと仲が良く気があっていたので彼女の忠告は素直に心に落ちた。女子生徒の言葉が気になって、仲の良かった男子生徒に問う。

「ああ、的を得てる意見だな。俺から見た意見?まあ、なんていうか、お前が離さないってかんじだな。まるで大切な『宝物』を箱の仲に入れて大事にしてる感じ。正樹以外見させない感じ?あの幼馴染の二人の憧れっぷり既に崇拝っぽい感じじゃね?俺はじめて見た時どこの教祖様だよって突っ込みたかったぜ」

男子生徒の笑い声に、正樹は青ざめた。
二人にすごいと褒められて、調子に乗っていた。嬉しかった。二人の自慢の兄貴でいたと思った。二人の『ヒーロー』になりたいと思った。二人に褒められたいと思って、頑張った。がんばって、自分の良い部分しか見せなかった。

――自分しか、見せなかった。

就職しようと考えていた正樹が急遽、県内の大学に進学しように変更したのは夏のことだ。正樹は慌てて進路指導室に駆け込んだ。ちょうど担任の教師もいたので正樹は真っ青な顔でさらに進路を変更する旨を伝えた。――県外の大学へ。


二人を、蒼と碧を正樹と言う『箱』から出そう――そう決めた。


そう、二人から離れるために、大学受験に県外を選んだ。
少しずつ、離していこう。近くにいては、『自分が』駄目だ。正樹が、二人を必要としている限り、手放せないから。いい兄貴でいたい。いい兄だと、まだそう思われているうちに。そう時間をかけて、二人から遠ざかろうとした。碧も、自分以上に好きになる男に必ず出会える。そう考えていた。大学に入学し新しい生活を始めた時、知った身体の事実。

――会う会わないじゃない、会えない。

良き兄でいたかった正樹は疎遠になっていって、それでも少しは何らかの繋がりがあれば…と甘い考えを持っていた。その考えは砂糖のように甘かった。現実には、『兄』ですらいられなくなった。会ってしまえば嘘をつけない正樹は二人に告げてしまう。実は女だった、と。はぐらかしてしまえばきっと二人を傷つける。傷つけるなら、何も言わない方が良い。会わないほうが良い―。
それなのに、ただ一度だけ会って、女だと知られてしまい―そして告白…。考え続けても、答えが出ないので、リモコンで画面をオフにし眠りに付くことした。あれから何のアクションもないのだ。蒼だってその場の勢いで言ったのだ。碧のこともあるから、きっと気を使ったのだ。

――……誰に?

「……」

正樹は無言でソファーベットの上に倒れこみ、

「だーーーーー!なんだよもうーー!」

頭を抱えて悶え始めた。


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