!ご注意!

大切な『宝物』。音信不通の3つ年上の幼馴染に会うために彼の大学へと行った。再会した幼馴染は、過去の輝きはなかった。地味だった。ダサかった。ありえなかった――。幼馴染の3人が、ブラコンでシスコンで奪い合ったりいちゃいちゃしたり、殴られたり、(ボケ)突っ込まれたり、ヤンデレが怖かったりするコメディです。
※TS作品です。ファンタジーとして読んでいただけたら幸いです。
全世界に向けてノーマルラブな御話だと叫びますが、ガールズラブもあるかもしれないのであしからず…。

※2014年6月の即売会で発表する冊子のために書きました。

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注意事項で書いておりますが、こちらの作品はTSF作品です。

男が実は女で、女として暮らしていくような話です。
あとラブコメと言うかブラコメ(ブラコン+コメディー)な感じです。

医学的観点とか、そこらへんは丸ごとポイっと投げ捨てた完全女体化みたいなカンジです。
ごめんなさい。

以上を踏まえて、OKな方のみ閲覧ください。
宜しくお願いいたします。








***







(1)




 ありえない。

ぼさぼさの髪と瓶底眼鏡、体系を隠すほどのだぼだぼのパーカー。
くたびれたジーンズ。
地味男、そう一言で終わることのできるほどの、青年が目の前にさわやかに開き直った顔をして彼の前にいた。

彼―駒形蒼(こまがたあお)は、先ほどまで言い辛そうに言い訳を考えていた三つ年上の幼馴染の青年を見た。

今はもう、開き直って笑顔さえ浮かべている。
その様に、腹が立つ。心配していた。心配していたのだ、蒼は。
高校卒業後、県外の大学に行きお盆もお正月も帰郷することが無かった青年。
蒼の青年との記憶は、オールマイティーに何でも卒なくこなしサッカー部のエースとして活躍し、蒼に勉強を教えてくれて、試験勉強のときは手作りの夜食まで準備してくれた。

大好きなお兄さん、そして尊敬する兄。

その気持ちは崇拝や妄信にも似ていた。

そう、幼馴染の『新城正樹(しんじょうまさき)』はひときわ輝く宝物様な存在だった。決して、地味でダサい男ではなかった。輝いていたのだ。――蒼の中では。

大学に入学した年の夏までちょくちょく連絡をくれていた彼が夏を過ぎてもまったく連絡をよこさなくなった。
それから二年半、音信不通の状態だった。蒼は正樹の父に幾度となく尋ねるが要領を得ず、そしてある日気づく。
いや本当は気づいていたのだ。けれど認めたくなかったのだ。
避けられているということに。
そして、蒼の中で正樹の存在が自分が思っている以上、心の拠り所だったことに気づいた。
会いたかった。すぐにでも。今すぐにでも。
その日はちょうど休日で翌日は創立記念日で休校日だったので、蒼は夜行列車のキップを購入し列車に乗り込んだ。
そして、早朝から彼の大学の校門に立つ。学生たちは蒼を訝しげに見つめ、そして一部は声をかけてきた。親切心を装った暇つぶしの女子大生に絡まれた。物珍しさなのだろうが今の蒼には目ざわり以外の何物でもない。
「人を待ってます」と、はねつけるように告げると「待ってても来ないんじゃないの?」と、嘲笑うように笑われた。
勘に触る笑い方にイラついていると現れた一人の男が蒼の腕を取り、笑う女に言った。

「悪いけど、彼借りるな」

女が何かを言う前に、蒼が抵抗する前に、強引に素早く腕を取り男は大学近くの喫茶店に連れ込んだ。
落ち着いた雰囲気の喫茶店で、開店間際なのかお客は一人しかいなかった。

「正樹の幼馴染の駒形蒼君?」

強引に対面式のソファーの席をつ座らせられて、今度こそ抵抗しようとした蒼に男は言った。驚いて固まった蒼に「俺、アイツの親友」と笑って喫茶店のメニュー表を渡し、

「俺さ。今日朝ごはん抜いててさ。ちなみのここのオススメは本日のチーズサラダサンドだよ」

手書きで書かれた軽食のメニュー表の一番上を指差して男は言った。
男の名前は相沢翔(あいざわしょう)といった。
相沢が告げる用件はただひとつ。

「正樹さ。君と会いたくないんだって」

その言葉に、息が止まる。相沢はまだ何か告げていたが、蒼は血の気が下がり相沢の声が気負えない。
やっぱり、避けられていた。
嫌われていた。嫌われるようなことをいつした?記憶にあるか?ぐるぐると思考が回る。
生きてきた中で唯一の救いで、蒼が肉親よりも信頼している存在。
目頭が熱くなり、唇が震えた。ああ、自分はいま、泣きそうなのだと―。柄にもなく、涙がこぼれてから、泣いてしまってから『泣きそうだ』と思った。

「うげっ」

蒼が涙をこぼしたことによって相沢が声を上げた。
オロオロとし始めた相沢が、「泣くようなことじゃないだろう?!」と焦って声を上げるが蒼から流れる涙は止められず、手の甲で懸命に拭う蒼は「うるさいっです」と弱弱しく呟いた。
困った、と言う風に蒼とは別の意味で青ざめた相沢の後頭部にアルミのペンケースが叩き付けられた。
ガン、という鈍い音とうめき声が同時に上がり、相沢はソファーの上に落ちて転がったペンケースを握り締めて怒鳴った。

「ぃ、痛いな!正樹!」

二つ離れた席に野球選手のような投球の構えを取っていた唯一の客の男が、瓶底のような分厚い眼鏡越しに相沢を睨みつけた。

「翔のドアホが!なに蒼泣かせてんだよ!蒼が泣いてんだろーが!」

胸倉を勢いよく掴み瓶底眼鏡をかけた目をすごませて、男は叫んだ。
ぼさぼさの、目を覆うぐらいの髪と色落ちたパーカー。くたびれたジーンズとスニーカー。一見どこの苦学生だ、と目を疑うが聞き覚えのある声と相沢を怒鳴りつけて怒る理由。
そして、

「正樹が会いたくないって言うから俺が力を貸してやったんだろう!殴られる筋合いないはずだ!」

「そんなことよりも蒼泣かすんじゃねえよ!蒼が泣いてんだろう!」

「はぁ!?大体会わないって決めた正樹がキレるのはおかしいだろう!?会いたくないなら最後まで出てこないで静観してろよな!だいたい俺だって年下、泣かす役目なんてやりたくないよ!」

取っ組み合いにまで発展し、二人は手近にあったものを掴み投げる―前に、ドンっと鈍い音が店内に響き、木製のトレイが真っ二つに割れカウンターに突き刺さってる様を見て取り身体を硬直させた。

「君たち、店で騒がない」

笑みを浮べたウェイトレスの女性が突き刺さったトレイをカウンターから抜き、

「相沢くん。店から出る」

「え、え?!俺なの?!」

出入り口を指差した女性は、笑みを浮べて頷く。
朝ごはんまだなのに~と、悲痛な声を上げ相沢は女性の言葉に従って項垂れて出て行った。
そして、

「新城くん。理由は知ってるけど…、きちんと話なさい。彼かわいそうよ」

そう言ってぼさぼさ頭の男―正樹におしぼりを渡した。温かいおしぼりを渡された正樹は硬直してどうして言いか分からずオロオロし始めた。そんな彼を呆れたように見て、

「座る」

と、相沢が座っていた席を指差し正樹を座らせると、

「渡す」

手に持ったおしぼりを渡すように指示し、

「スペシャルデラックスウルトラミックスパフェ一つね。ご注文ありがとうございました~」

と伝票が挟まれたバインダーを取り出しさらさらと頼まれもしない注文を取る。

「は?!待てよ!!それ3890円(税別)だろ!?」

「二人で食べれば大丈夫でしょう?」

「それ5人前計算のパフェだろ!?」

一人で食えるか!と喚き立った正樹に、女性は微笑んで言った。

「うっさい。食え」



(2)





 目の前には特注と言うデザート皿の上に色とりどりのアイスとフルーツ、生クリームで飾られベリーソースとチョコソースがかかり、カラースプレーとアザランでさらに飾り付けられた、甘味の塊があった。
口元を押さえ、うげぇと呻く正樹とは違い彼を真っ直ぐ睨みつける蒼が切り出した。

「あなたが、新城正樹…兄さん?」

訝しげに、けれど、目の前の地味な男―青年が新城正樹であることは認めたくないけれど認めるしかないのだろう。
連絡が取れなくなるまで七年、七年もの間、新城正樹と言う人間を見てきた。
たとえば、バツが悪くなると耳たぶをいじり始める癖など、目の前の男がせわしなくやっている。瓶底眼鏡越しに見える目はきょろきょろと定まらない。
なんとか現状を打開しようとしている癖。
そして、

「ああ。俺がお前の言ってる新城正樹だ」

大きくため息をついて肩を落として、『さわやか』に笑う。これはもう、言い訳を放り投げたときの癖だ。まったく悪びれた風もなく大きめのスプーンでアイスを掬い取り皿にアイスを落とす。クリームとフルーツも乗せ、

「蒼の分」

と言って蒼の前に置き自分の分も取る。

「早く食べないと解けてぐちゃぐちゃになってストローで啜る羽目になるから解ける前に完食しないといけないから」

俺のおごりだ、と言ってスプーンでクリームを掬って口に含む。
眉間に皺を寄せて、さらに一口、二口と口に含む。

「正樹兄さん、大丈夫ですか?」

甘いの嫌いでしょう?
目を潤ませて、甘さに耐える正樹は、大丈夫だ。と手のひらでジェスチャーする。
ガツガツと食べ始め、そこに会話はない。
けど、泣きそうになりながら、冷たいアイスとクリーム。フルーツを食べ、熱いコーヒーを啜る正樹に蒼は問い詰める気力を失ってしまった。
そして、自分の取り皿の上の中を少しでも減らすためにスプーンを動かした。


「……げふ」

二人同時に音を上げて、口元を押さえる。当分甘いものはいらないな、と蒼は水を飲みながら胸中呟いた。

「はーい。完食おめでとうー。これはサービスね」

出されたのは真っ白のティーカップに入ったハーブティー。ぷかぷかとミントの葉がトッピングされている。

「ミントのブレンドティでパフェで胸焼けした胃をすっきりしようね」

「勝手に注文取ったウェイトレスが出したサービスなんて怖くて飲めねえよ!」

チャイナボーンのカップの中でぷかぷか浮かぶミントの葉に興味を引かれたのか、蒼は喚きたつ正樹の怖くて飲めないの意味を深く考えずに口をつけた。
すっきりとした喉越し。蒼はわずかに目をはった。
これは、

「……おいしい…」

ぽつりと呟かれた言葉に、女性はぱぁあと顔を輝かせた。

「でしょ!」

君いい子ね~~~。と笑う女性に苦虫噛み潰したような顔をする正樹。恐る恐る自分に出されたカップに口をつけ、一口飲み込む。
むせた。

「げふっがは。あまーーーー!!」

カップを乱暴にソーサーに置き、

「甘すぎ!!まず!!」

叫んだ。女性はにっこり微笑みながら、

「葛木スペシャルだから。おいしいでしょ?」

笑い出すのを堪えるかのように、顔を背けた。ハーブティーに大量に砂糖を入れたのだと笑って言う。蒼は慌てて自分のグラスの水を渡した。

「…悪いな。桃果。後で覚えてろよっ」

グラスを受け取り、水を飲み干すと恨みがましい声で女性―葛木桃果(くずきももか)に告げるた。桃果は人の悪い笑みで厨房に向かって声を上げた。

「マスター、フルーツパイ一ホール追加ね~」

「やめてくれ!!」

正樹の悲痛な叫び声が店内に響いた。くすくすと喉を鳴らして桃果は笑うと、

「さて、と。ランチの時間になるから、叫ばないでしーずかに話し合ってね」

パン、とトレイを手のひらに叩き付けて桃果はカウンターの中に戻っていた。
顔を引きつらせて、位置のずれた瓶底眼鏡を直しつつ、咳払いをし正樹はぽかんとして毒気の抜けた蒼を見た。
蒼は困惑した表情で、何を一番初めに問うべきか悩む。
そして、

「正樹兄さんに、僕は何かをしたんですか?」

視線を落として問う。何かして、嫌われてしまったのだ、そう――そう思いたかった。
嫌われる要因があったのだと。でなければ、

「違う」

ズキリと胸が痛んだ。
なら、どうして。と、大声で叫びたかった。けれど、じっと真剣な眼差しで二人を見つめる桃果の視線を感じ蒼は堪えた。堪えて、

「じゃあ…どうして、会いたくないってっ。実家の方にも戻って来ていない…兄さんは」

「俺の都合だ。悪いな」

さらりと告げられた言葉に、ならどうして。と言葉が募る。

「そんでもって、蒼には関係ないことだ」

その言葉に、心が凍った。
関係ないと、言われた。
そうだ。どうせ近所の年下の血の繋がらない赤の他人だ。
たとえ、兄弟のように親しく付き合ってくれていても結局は『赤の他人』なのだ。血の気が引く――。

事実を突きつけられて。

震える手を、心を、隠すために強く拳を握りしめた。
そして、震える喉は声に出して「碧なら――」と問いただしたかった。けれど、もしもここで『駒形蒼』だけ関係ないと言われたら――。
泣きそうだった。

「……そうですか…」

会話することを投げ出し、唯一の荷物である鞄を掴んで財布を取り出し席を立つ。

「すみませんでした…」

そう言ってお札をテーブルに置いて逃げるように店から出て行った。兄と尊敬していた正樹の呼びとめる声は―― 一切聞こえなかった。
呼びとめられなかったのだから、聞こえるはずなかった。そのことに、悲しくなって――情けなくも視界がこらえていた涙で歪んだ。



 駅の切符売り場で財布の中身を見て蒼は焦った。
入れていたはずの一万円札がない。喫茶店で正樹と居るのが苦痛で逃げ出してきたときにテーブルに置いたお札の種類を思い出そうとするが、紙幣を置いた感触しか思い出せない。
けれど、置いたと思っていた千円札は財布の中に納まっている。
どうすればいいのか、どうしようか、蒼は行き交う通行人の邪魔にならないように壁側による。家族に、父に電話をかけることだけない。それならば迷惑を知っても兄妹の世話をしてくれている正樹の父親か…。それか妹――、碧にかけるしかないだろう。からかわれるのがオチだが背に腹は変えられないと、電話帳の中から碧の名を探し通話ボタンを押す――、瞬間、腕が引かれた。
驚いて腕を引いた人間を見ると、息を切らした―正樹がずれ落ちる瓶底眼鏡の位置を直しながら、

「……おつり」

と9450円を蒼の手の平に押し付ける。荒い息を整え、乱暴に蒼の髪をかき回し、

「元気でな」

口元を微笑ませて、目元を―悲しませて――。
背を向けた正樹の右腕を蒼は本能で掴む。
なんで、そんな、めで、

(『俺』をみるんだよ?)

驚いて振り返った正樹が腕を振りほどこうとしたので、左腕を掴もうと腕を伸ばした。
伸ばして、むに、っと柔らかいものを鷲掴みした。

「え?」

「ぃひっ」

むに、とするそれを何度か揉みながら、目を丸くして、

「え、…むね?」

ご、という音が鼓膜を震わせたかと思うと、こめかみが傷み、そして―視界が黒く染まった。



(3)




 新城正樹は、彼を見た瞬間血の気が下がった。

二年半ぶりに見た、近所の三歳年下の幼馴染は女の子と見間違うほどのかわいらしさが、男らしさと交わり、そう――呆れるほどかっこよくなっていた。

うらやましいほどに。

ぼさぼさ頭で、瓶底眼鏡をかけ、だぼだぼのパーカーとジーンズで身体を隠す自分の有様と180度違う。
うらやましいと言う感情が、情けなくる。しばらく彼、駒形蒼を眺めていると、彼は誰かを待っている。

いや、探している。そのことに、さらに血の気が引いた。

大学に入ってからの友達である相沢翔に蒼に何とか帰ってもらうように頼み込んだ。会いたくない理由を翔は理解してくれて呆れながらも承知してくれた。

そして、泣かしやがった。

翔に悪いことをした、と思いながらも蒼を泣かした翔に苛立ち、そして正樹は蒼が望む答えを渡すこともできず、逃げるように席を立ち喫茶店を出て行った彼の背中を悲しく見つめた。
たぶんもう、関わることも、関わらせても、もらえないだろう。
 小さな頃から、自分を憧れの対象にしてきた少年のために、新城正樹は駒形蒼と碧だけの『ヒーロー』になるために、ただ、蒼に、碧に『すごい』と言われたいがために、すべてにおいて自分を磨いてきた。スポーツにしろ、勉強にしろ、料理にしろ。
失敗してきたことはすべて蒼にひた隠しにし、自分の良いところばかりを見せてきた。蒼の実の兄にはなれないけれど、それでも実の弟妹のように触れ合ってきた。

今ですら、蒼を慰めに走り出したいと心が騒ぐ。

葛木桃果の呆れた溜息が聞こえたが、それを無視して砂糖たっぷりのハーブティーを駒形蒼を傷つけた自分の罰だという風に一気飲みした。甘さに苦しみながらテーブルに突っ伏す。
わずかに視界に入ったお札が福澤諭吉であることに目を見開いた。

(――帰りの電車代、あるのか?)

そう、思ってしまったらいても経ってもいられなくなった。
使い込んだ革の財布を取り出してレジで会計を済ませ、桃果の悪態を含む忠告を背に、駅に向かって走る。
たぶん、ここからなら一番近い駅は―。考えながら駆け出した足は、止まらない。
一分でも、一秒でも、早く。

蒼が困っている。

それだけが、正樹の原動力だった。



 案の定、蒼は困っていた。
壁に背をつけ、携帯の画面を厳しい顔で見ていた。通話ボタンを押そうか迷う様に、慌てる。
慌ててしまう。誰にかけるか、厳しい蒼の表情からもしも蒼の『父親』だというのなら、正樹は一生後悔する。後悔して、二度と顔向けができない。
ホームから飛び込み自殺をして詫びたいほどに、だ。
だから、押される前に――。
早く、早く、と腕を伸ばす。
蒼の腕を掴み、携帯のボタンが押されていないことを確認し、心の安堵した。安堵し、泣きそうになった。それを誤魔化すためにずれた眼鏡を何度も直す。かけ直すが指先が震える。
どうせ、度なんて入っていない伊達眼鏡だ。
どんなに指先が震えていようが、視界は良好。
蒼の驚いた顔がよく分かる。地味さをかもし出すアイテムである眼鏡。魔よけの一種。正樹は、動揺を隠すように蒼にお釣りを渡す。
蒼が飲んだコーヒー代を差し引いたお金だ。
きっとここで正樹が奢ったら蒼が置いていったこのお金の意味がなくなってしまう。

決別をするなら、奢るべきではない。

最後に、最後に、よく触った柔らかい栗毛をかき混ぜて、そう。

(これで、さよならだ)

だめな兄貴でごめん。
正樹はそう心の中で呟いて、別れの言葉を口にした。背を向けて、駆け出したい衝動を堪える。堪えて、歩く。みっともない、余裕のない姿なんて絶対に見せたくない。
けど、ここで逃げればよかったのだと、後になって思う。
どんなに取り繕っても、無駄なことがあるのだと。
そう、分かっていたのに。
掴まれた腕、振り払おうとした腕、伸ばされた腕。
掴まれない様に身をそらした、それがいけなかった。蒼の手が、掴む。

掴んではならないものに、触れた。

痛い、と思った。痛くて、そして掴まれた感触に肌があわ立つ。
飲み込んだ悲鳴と、驚く蒼の表情。困惑する彼が、何度か、それを揉む。脂肪の塊を。
蒼が知っている男である、正樹に、あるはずのない、胸にある、脂肪の塊を。

痛い。

無遠慮に掴まれて揉まれることは、痛みが走ることなのだと正樹は知った。
驚く蒼が決定的な言葉を言う前に、その痛みと身体に走る不愉快な感覚を消し去るために――つい、拳を振り上げた。




(4)



 ゆっくりと蒼は瞼を持ち上げた。
生暖かいタオルが額の上に上がっていたのでそれを手で取る。
天井の明かりと、カーテンからかすかに見える暗闇が夜だということを示していた。ぼんやりとした意識でゆっくりと身を起こすとスプリングが軋んだ音を立てた。
ソファーベットの――あまり寝心地のいいとは言えないベット――上に蒼はいた。
周囲を見回すと、ワンルームの小さな部屋。
玄関を隠すように衝立が置いてあった。
ソファーベットとローテーブル。デスクトップのパソコンがテレビ台の上にあり、あとは本棚と備え付けのクローゼット。
見える限りではそれだけで、カウンターキッチンの奥のほうで何かごそごそと音がしている。
そして良い匂いもする。
食欲を誘う匂いだ。蒼は空腹にお腹が鳴った。
慌ててキッチンの方を見ると、調理しているであろう人物は蒼の腹の音には気づいていない。
その方向をじっと見ていると、ぼさぼさの髪の毛が見えた。よし、と声が聞こえるとなぜかサーロインステーキ(生)が台の上に置かれた。置かれて、

「ううう。蒼~~。いま良いモン食わせてやるからなぁ~~…」

泣きそうな、いや泣いたのだろ。鼻声の聞き覚えのある声が耳を震わせた。たまねぎとにんじん、などなど。野菜がどんどん台の上に載っていく。そして、包丁を持った正樹が立ち上がった。
涙に濡れた目が、身を起こしてカウンターを見る蒼を捉え包丁を放り出す。カン、と包丁がフローリングの床に突き刺さるが正樹は蒼の側に駆けつけ、まだ寝てろ!ときつく言い、生ぬるくなったタオルを再度濡らしこめかみに置いた。

「ごめん。ごめんな、蒼っ」

ぐずぐずと鼻を鳴らす正樹に蒼は状況をようやく理解した。そうだ、

「僕は兄さんに殴られたのか…」

「ごめんーーーーーーーーーーっ」

ぽつりと呟いた言葉に正樹は過剰反応して土下座する勢いで謝った。そんな正樹に蒼が慌てた。じゃらけあって叩かれるということはあっても、本格的に気を失うほどのものは人生初体験だったが――思わず自分の右手を見る――、たぶん。殴られてもしかたないことをしたのだと、思う。あの、柔らかさは…。

「兄さん、あの」

「ごめんな。俺、思わず殴っちまって。…そしたら蒼、気を失って。あ、ちなみにここ俺の部屋な。狭いけど結構気に入ってるんだ。何もないけどな~。ちなみに、天井のロフトは物置だから」

肩を落として正樹が謝る。ロフトを指差して物置と言う正樹に聞きたいことはそんなことじゃないんだけど。と、キッチンから黒い煙がもうもうと出ている。

「兄さん!!なべ?!」

「え、あ!!」

慌てて立ち上がろうとした正樹がズボンの裾を踏み、鈍い音を立てて倒れた。ぎゃっと、悲鳴が上がると同時に、蒼はすばやく立ち上がりキッチンのコンロの火を止めた。
鍋の底の具材がこげているが、食べれなくはないだろう。

「兄さん、大丈夫みたい……だよ…?」

倒れたまま起き上がらず丸まったままそのまま、蒼にかけられていた毛布を掴み、身体を隠すように丸まった。まるで、ダンゴだ。その様に蒼は開いた口が塞がらない。塞がらず、

「にいさん?」

問う。どうしたのかと。
けれど、正樹は答えず、丸まったままだ。丸まったまま、動かない。

「打ちどころが悪かったんですか?!」

蒼があわてて駆け寄ると、首を横に振る正樹のかすかの動作が伝わる。ならどうして?と蒼は不安になる。

「悪い…みっともないとこ見せた…」

苦しそうに呟いた正樹は、丸まったまま蒼に告げる。そして情けない、と心の中で泣く。みっともないところを蒼に見せてしまった。蒼の前では完璧な『兄』でいなければならなかったのに。悔しさと、情けなさに、顔向けができない。
丸まった正樹にどうすればいいのか、困惑し、そして―。

「兄さんが…」

息を吐く。

「今の兄さんがみっともないのなんて、知ってますよ」

その言葉に、酷く正樹の胸が痛んだ。

「大体なんですか、そのぼさぼさの髪。まえの兄さんだったら、すっきりさせてましたよね?それにそのダサい眼鏡。いまどきどこの苦学生ですかって感じです」

容赦ない感想を述べる蒼の言葉の刃に目の前が真っ暗になる。
震えるダンゴのような固まり。そのダンゴ、正樹は一切反論しない。蒼は眉をひそめて、

「兄さん―、兄さん?」

無言の正樹を何度か呼ぶ。けれど、ダンゴは震えるだけだ。

「それに…、前から兄さんが努力家だって知ってましたよ。僕にりんごのウサギを食べさせるのに手を血まみれにしたとか、カレーを作るのに鍋3つ分作ったとか、グリルが使えなくて焼き魚が炭になったとか」

ダンゴが驚くほど震えた。震えて、ぶるぶると動く。

「小テストで思ったほど点が取れなかったら寝る間も惜しんで勉強して、授業中に爆睡して先生に怒られて授業についていけなくてエンドレス、とか」

ダンゴの震えが止まる。

「授業で跳び箱飛べなかったからって向きになって練習して跳び箱に突っ込んで膝を五針縫ったり」

ダンゴが、かすかに動く。

「全部、おじさんから聞いてます。いまさらですよ」

呆れたため息をつく蒼の言葉に微かに掛かる、怒りの声。
あんの、

「クソ親父がああああああああ!」

毛布を跳ね飛ばして、固定電話に飛びつき番号を素早く押し通話ボタンを叩き壊す勢いで押した。コール音のあと、

《ただいま留守にしております。御用の方は――》

「腹下せ!!クソ親父!!二度といらねえもん送ってくんじゃねえ!炭にして返すぞ!」

機械音声に罵声を向けて受話器を本体へと叩き付けた。
肩で息をしながら、ちくしょうっと吐き出す正樹をまじまじと蒼は見つめた。耳まで赤く染めて、

「恥ずかしいぃ…」

そう言って、キッチンへと逃げ込む。

「に、兄さんっ」

慌てて追いかけようとすると、

「蒼、ストップ!来るな!俺いま、超情けないっ」

「なにが…」

「悪い。ずっと、お前のいいアニキでいようと思ってたのにっ。すごく情けないっ」

言葉の語尾が震える。震えて、

「ほんっと、ごめん」

泣きそうな声色に、蒼が顔をゆがめる。謝ってほしいわけじゃない。情けなくてもいい。
それでも、駒形蒼にとって新城正樹は、――。

「謝らないでくださいっ!」

苛立ちも混じった声で叫んだ。

「情けなくても、みっともなくても、僕の兄さんは正樹兄さんだけなんですからっ!碧だって兄さんは正樹兄さんだけだって言いますっ!僕等兄妹は、正樹兄さんに憧れてずっと、一緒にいたくてっそれで、でも、――」

カウンター越しにかすかに動く音がする。

「とりあえず、大好きで尊敬する兄さんなんです!だから、いまさらみっともないとか恥ずかしいとか、情けないとかで謝らないでください!」

ぴょこんと黒の髪の毛が見える。

「……だから…」

「…もういい」

言い募る蒼の言葉に正樹は耐え切れなくなり、ゆっくりと立ち上がった。

「もういい…。ばかばかしい…」

顔を真っ赤にして、

「恥ずかしいわ、俺。情けない…。すっげー、見栄っ張りがバレバレだったなんて…」

頭を抱える。

「それでも、碧も僕も兄さんが大好きです」

「俺もお前らのこと好きだから、こんな俺を見せたくなかったのに…」

そうですね。と、頷くところだったが蒼は堪えた。
堪えて、

「……様変わりしてますね…兄さん。悪い方に」

「うるさいよ!いいだろ。こっちのほうが色々楽なんだからっ」

吐き捨てるように言うと、飯にするぞ!と無理やり話を切り替えた。

「あ、蒼。お前の携帯勝手に使って碧と連絡取ったから。今日は俺んち泊まって明日帰れな。明日蒼の学校創立記念日なんだってな。秋期講習休んで、受験生だろ?こんな時期にこんなところ来て何やってんだか」

「……碧…」

蒼と同じく、正樹が大好きな蒼のひとつ年下の妹の駒形碧は久々の正樹との電話でよけないことをぺらぺら喋ったらしい。

「俺なんかより優先することがあったはずだろ?」

「音信不通で生きてるか死んでるか分からない兄さんより優先することなんてありませんよ」

カチンときたのでつい口調を強めていってしまった。
その言葉に、正樹は視線をさまよわせる。癖が発生した。

「まあ、それはそうとして」

「その姿を見せたくないだけですか?兄さんは」

そのために二年半も音信不通になってたんですか?
視線で問うと、正樹は咳払いをしながら、

「とりあえず今日は肉だ」

と言ってフライパンでサーロインステーキを焼き始めた。ジュウジュウと音が響き一切の質問を寄せ付けない。ステーキを適当なサイズに切り分け、レタスサラダの上に乗せる。ポン酢のおろし醤油のタレを器に入れてステーキの皿とタレの器、白飯の茶碗とみそ汁(レトルト)をローテーブルの上に並べた。

「……本当はあっさりしたものがいいんだけど…」

肩を縮こませて正樹は告げる。

「ここに連れてくるとき、なんか細いなって…思って」

肉にした。と、言うと蒼は苦笑いを浮かべた。
別段、栄養不足というわけでもない。体重も身長から割り出した平均値より少し上だし、筋肉もついている。別にやせ過ぎているわけでもないのだ。

「大丈夫ですよ。家でもきちんと食べてます。今じゃあ碧はフルコースだって作れるくらい凝った料理が出来るんですよ」

兄さんなんて目じゃないです、と笑う。そんな蒼の笑顔に正樹はほっと胸を撫で下ろす。
目元を緩めて、そっか。と微笑み、

「…食べれるか?」

心配そうに問う。蒼は苦笑いを浮かべ、

「兄さんの料理を残すなんてしません」

いただきます、と行儀よく両手を揃えて食事に箸を向けた。


[newpage]

食事を終えた二人は、正樹が洗いものを。蒼がお風呂掃除をした。
正樹は全力で断ったがなら、宿泊代と食事代を渡すと強固に言い放った蒼に折れた形となった。洗いものと掃除を終えた二人は、ベットからソファーへと戻した椅子に並んで座り、地デジチューナー搭載のパソコンでバラエティ番組を見ていた。と、言っても蒼はぼんやりと芸人たちの笑い声を聞きながら別のことを考えていた。
握り締めた、あの、柔らかいもの。
蒼とて男だ。
そして、本人は一切気にはしていないが周囲の女子が騒ぎ立てるほどの容姿を持つ。
告白されたことも何度もあり、一度だけ付き合ったことがある。
もちろん、肉体関係までいった。ただ、ひょんなことで分かれることとなったが、それまでその関係は続いていた。恋人同士として。
じっと自分の右手の平を見つめる。見つめて、あの柔らかさを思い出す。
どう考えても、

(女性の、胸?)

まさか、あんまんとか肉まんとか饅頭とかパンとかいう落ちはないだろう。
ぶかぶかのパーカーとくたびれたジーンズ。
身体の体型がぱっと見る限りではわからない。抱きしめればその形はわかるだろう。男なら、硬く、女なら―柔らかい。
まさか、と、口元が引きつるが、ならあの感触はなんだ?と問う声がする。

「―、お。蒼?」

はっと我に返り、蒼は畳んだタオルとTシャツとハーフパンツを持った正樹を見た。正樹はきょとんと首をかしげ、

「お風呂わいたみたいだから先に入ってこいよ」

そう言って畳んだタオル一式を渡した。蒼は素直に礼を告げ、狭いバスルームに入り身体を洗って湯船につかる。

(…せまい)

けれど、窮屈な家よりは―ここは、心地いい。心地よくてついうとうとしてしまい、中々上がってこない蒼を心配した正樹に起こされ、お風呂から上がったと同時にシーツが敷かれたソファーベットの上に倒れ込んだ。

「だ、大丈夫か?殴った…」

「あ、違いますよ。兄さん…。ちょっと疲れて…なんだか、とっても眠いんです…」

笑顔を精一杯浮かべるが、眠気でまどろむ。そんな蒼に、正樹は笑う。そっか、と。

「今日は色々ごめんな…」

正樹は蒼に毛布と布団をかけて、

「お休み。俺、風呂入ってるから」

そう言ってまどろむ蒼の髪を撫でた。
蒼は、優しいその指先を名残惜しむかのように、浅い夢の中に落ちる。


 シャワーの音が聞こえる。
蒼は、まどろみの中からゆっくりを目を覚ます。まだ、眠い。けれど、とても喉が渇いた。
湯船の中で随分と水分を発散させてしまったようだ。
喉の渇きにたまらず起き上がり、蛇口から水を出し、グラスに入れて水を勢いよく飲む。水道水が美味しいとは思えないが、喉から胃にかけて水の冷たさが染みわたるように広がる。
しばらく蛇口から水を出したまま、排水溝に流れる様を眺める。自分まで流されてしまいそうになる、錯覚を覚えた。
バスルームの扉が開く。ワンルームの狭いアパートで脱衣所なんてない。蒼の時は着替えの際は、キッチンと玄関のわずかの間で着替えを行った。その際、室内から着替え姿を隠すためにアイボリー色の衝立が役立った。が、それはキッチン・バスルーム側とソファー側を隔てるものである。今、蒼は、キッチン・バスルーム側にいる。このままだと、丸裸の正樹と対面する。そう思いながらも、中学まで一緒にお風呂に入っていた間柄だ。いまさら裸がなんだ、碧だって裸同然の恰好でうろちょろしているんだから別に気にはしない、と。

「ひ」

「…え」

真っ白のな身体に、二つの脂肪の塊があった。細い腰の下には、ついてない。
蒼はかぶりを振った。降って目元を抑えた、変な夢だ。と、そして再びバスルームから出てきた『女性』を見た。
女だ。

「え?」

いぶかしげに、眉を寄せた。肩までの黒髪からしずくが落ち、白い肌に流れる。大きめな瞳は、正樹がよく気にしていた。もう少し鋭い目つきなれば男前になるのに、と。

そう、正樹に、良く似た、女が蒼の前にいた。

女はゆっくりとバスルームの中に戻る。戻って、パタンと扉を閉めた。
閉めて、水の流れる音を聞きながら、蒼は――手にしたグラスを落とし、割った。




(5)




 バツ悪そうに視線を合わせない、新城正樹。
頭が混乱して、頭痛すら感じ始めた、駒形蒼。
正樹はあいかわらず体の線を隠す大きめのパーカーにハーフパンツを吐いていた。伸びる足は、サッカーをしていた頃から丸みを帯びた足。筋肉質だった足は今は、ただの美脚となっていた。ほっそりとしていた腰や腕、丸みを帯びた胸や尻。大きめの瞳、そのパーツそれぞれを組み合わせて出来上がった正樹はまさに、

「………、どういうことか…聞いていいですか…?」

女性だった。完璧な。可憐な、女性だった。
正樹は視線を合わせない。合わせないが、その手はせっせとグラスで手を切った蒼の手当てをしていた。グラスを割ったことに慌てた蒼が手を切り、「いたっ」と言う声に反応して素っ裸のまま正樹がバスルームから飛び出し、手当てをしないとと騒ぎ出した。騒ぎ出した正樹はその素肌を惜しみなくさらし、蒼に洗濯かごに押し込んだパーカーを頭から被されるまで気がつかなかった。
絆創膏をいくつも貼ったその、過剰なまでの手当てに蒼が顔を引きつらせていると、正樹が呟いた。

「女性仮性半陰陽。…ぶっちゃけると、俺、女だったんだわ」

その視線は、逸らされたまま告げられた。

「まあ、男として生きてもよかったんだけどな。俺の家族って親父だけだし?いろいろあって親父と喧嘩して、そんな哀しいこと言わないでくれって泣きつかれちゃってさ。なんていうか……さ。俺、隠し事苦手だし…、ほら、なんていうか…気持ち悪だろ?気分的に。生物的に女なのに、男のモンついてるし、胸出てくるし」

正樹の言葉に蒼は茫然と耳を傾けていた。ぎゅっと蒼の手を握りしめ、

「…おれ、蒼や碧のかっこいい兄貴でいたかったけど。やっぱり、身体が女でさ。筋肉つけようと頑張ってもなかなか思うようにつかないし、他の奴らと体力の差、開いてくし。胸、膨らんでくるし…」

ふに、っと蒼の手を自分の胸に押しつける。柔らかい。そして、温かい――。

「まあ、こんなんで、さ。あんまり地元に戻りたくねーんだ俺、ほら。嘘つけないしっ」

そう言って苦笑いを浮かべた。悪いな、と小さく謝罪し、

「まあ。蒼もこんなにカッコよく育ってるし。俺なんかいなくて大丈夫そうだし、碧も料理うまくなって…」

けらけらと笑いだす正樹は蒼の手を離す。

「碧は、正樹にいのお嫁さんになるのが夢なの、ってまた言われたよ。…ほっんと参るよな…」

歯を食いしばんでうつむき、正樹は吐き捨てた。

「……にいさ―」

「てことで、俺は兄貴じゃないんだよ」

兄貴になれないんだよ。と、哀しく微笑む。悪いな、と幾度も謝罪する正樹に、蒼は硬く目をつむって息を吐いた。そして、

「いいましたよね。情けなくても、みっともなくても、僕の兄さんは正樹兄さんだけなんですと。碧だって兄さんは正樹兄さんだけだって言いますっ。たとえ、新城正樹と言う人間が男であっても、女であっても、僕等兄妹は、正樹兄さんに、正樹さんに憧れてずっと、一緒にいたいと願ったのは、あなたなんです」

無造作に落ちていた正樹の両手を掴み、握りしめた。

「僕は、どんなあなたでも『憧れ』た人です」

目指していた人です、大好きな人です。そう、気持ちを込めて、

「だから、どんな正樹兄さんでも僕の兄さんはあなたです」

そう、気持ちが伝わることを願った。握り締めた手が強く握り返され、

「ありがとう…蒼」

再会して、初めて――心から正樹の笑顔を見た。
 色々なことを聞きたかった。けれど、正樹が「高校生はもう寝る」と蒼をソファーベットに押しこむ。

「兄さんは―」

「俺は床でも平気だ」

「だったら僕が」

「お客様を床に寝せることをするなんて、俺はできねえよ。大丈夫だって、このラグも結構気持ちいいんだから」

毛足の長いラグを叩きながら、気にすんな。と言って笑う。その笑みに押された形となって、蒼は苦笑いを浮かべた。

「じゃあ、…お言葉に甘えて…」

ソファーベットに腰をかけて、

「でも、兄さん掛け布団とか毛布とかあるんですか?」

「大丈夫大丈夫」

「………」

薄手のハーフケットを出してきて、エアコンを少し高めに設定する。な!と笑いながらラグの上に寝転ぶ。クッションを枕にしながら、

「明日の朝何食べたい?」

と聞いてくる。蒼は秋の肌寒くなってきたこの季節、ハーフケットで寝ようとしている兄を睨みつつ、肩を落とした。

「兄さんが作るのなら何でも食べます」

「そっか」

うれしそうに笑う正樹に、かけ布団を渡し、

「これでも鍛えてるんです。毛布で十分ですよ」

と言って有無言わさず毛布に包まって背を向けた。背後から正樹の抗議の声が聞こえるがかけられる掛け布団を蹴り正樹の方に落とすという地味な攻防の末、正樹が根を上げた。
灯りを消し、二人で「おやすみ」と挨拶を交わし――再会の日は終わりを告げた。

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